That Means A Lot

ゆとり世代にゆとりなどない

関西に引っ越しても特にそんなに変わらないけど

夏に転勤で関西に引っ越した。

27年間生きていたうちの25年間は柏市に住んでいた温室育ちが体験する初めての引っ越し。見知らぬ土地での生活に恐れ慄いていたが、クマゼミの声滲み入るうだるような暑さから、金木犀の香りと朝晩の肌寒さが身に染みる頃になると、安いスーパーも、渋滞する道も、テレビのチャンネルもなんとなくわかってくる。日本の都市圏ならば案外どこでも変わらず住めるものという、当たり前といえば当たり前なことをしみじみと、しかしひしひしと感じている。

関西といえば、関西弁、お笑い、商人の街、粉もん、阪神タイガース、ガンバにセレッソ…など。たしかに住んでみると関西を感じる文化は確かにそこらじゅうに転がってはいるけれど、私はテレビをあまり観ないし、別に奴らも押し売りをしてくるわけではなく、ただ転がっているだけである。六甲山から見る景色は格別で、愛車で走るのがとても楽しいし、京都では森見登美彦氏の小説の舞台は可能な限り回る計画もあるし、長居には行ったし万博も甲子園も行くつもりだ。それでもココロのチームは柏レイソルであり、千葉ロッテマリーンズのままだ。もちろん拾ったものだってあるが、拾わなきゃ何も変わらない。

関西に住むのであれば、憧れていた阪急沿線に住もうと考え、結果的に宝塚市に良い住処を確保することができた。毎朝毎晩自分の姿が映るほどに磨き上げられたマルーンの車両が滑り込むたびその美しさに見惚れ、木目調の格式高い内装に感銘を受けている。その昔は「悔しかったら阪急沿線に住んでみぃ」と大阪球場でヤジが飛んだらしいが、別にそんなに難しくもない話であった。高級とかいうが、物価だって全部が全部高いわけでもない。*1

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仕事も、確かに一緒に働く人は変わったけれど、やっている仕事の中身があまり変わらない。お客さんはよく喋ってくれるし、机に戻れば所帯が少ないので周りが静かで、しょうもないストレスが減った。もちろん自分がきちんとしなくてはという責任とプレッシャーは感じ続けなければならないだろうけど、それは5年目の社会人なら最低限のことに変わりはない。

学生や社会人で単身だったり、子どもがいたら、友人やご近所付き合いとかで影響されるものもあるだろうし、また受ける影響も違うかもしれない。でも若い夫婦で2人暮らしだから、人間関係の輪は拡がりづらいけれど拡げる必要もない。家族からはしょうもないLINEが定期的に来るし、関東の友人とは相変わらずSNSで薄い繋りを変えず保っている。どんなに中身が些細なことであろうと、それはありがたいことだ。

孤独でないことは、この難しい時代ではとてもとても大切なこと。

結局、見知らぬ土地での生活を恐れていたはずが、温室ごと関西に持っていったので何も変わっていない。周りにある変化を拾わず、自分が変わろうとしない限りは、舞台の背景がごっそり変わるだけで自分が立っている場所は何も変わらない。いくらビビり倒しても、街は街でしかないから誰からも迎え入れはしないが拒まれもしない。ただし、その不変であることこそが難しいいまの時代では、この上のなく恵まれていて、幸せだということも理解しつづけてはならない。

誰もが自分のことで

本当はいっぱいいっぱいなんだ

寂しさに負けそうになって明日がこわくて

それでも優しさを振り絞ってゆく

-KOIKI 赤い公園

そんなふうに思うのも、どうしてもまだ津野米咲さんの死が整理ができていないからだろうか。まえにここでかいた時から、ずっと彼女の楽曲に元気を与えてもらっていたし、好きだったバンドのメンバーがこんな形で居なくなってしまうことだけではなく、同世代の星がこうしてふと堕ちてしまうことの衝撃が拭い切れない。たしかに僕と彼女は才能や環境でまったく違う世界の人間であったはずだけど、「ふたつ上」というのは私が高校1年なら彼女は高校3年なわけで、それだけで親近感を抱く星が、この時代ではふと消えてしまう。その衝撃を果たして拭っても良いのか、消化の方法や是非すらわからないままである。そばにいた人でないからずっと哀しみに耽るのも違うが、忘れようと離れるのもなんだか嫌で、ずうっと赤い公園を聴き続けている。

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兎にも角にも、今の私は関西に引っ越しても、求めていた平穏と安定を手にしている。あらためて、放っておいたら気づかない間に失われていくような時代で、それはたいへんしあわせなことだ。ひたすら精一杯しがみついて生きていこうと思う。

*1:牛乳は高いが