That Means A Lot

ゆとり世代にゆとりなどない

「推し」ができた話。

花粉症というのは、それまで年々蓄積されていた花粉が、ある時にカラダの許容値を超えて発症するという話を聞いたことがある。

これは、仕事中にたまたま目にした「オキシトン」の文字を「オキシトシン」に空目し、頭の中で聴こえた「すごいオキシトシンで〜」の声に導かれるように、そろそろ発売だったっけとYouTubeで『アドレナリン・ダメ』のMVを見たら、八木栞さんを好きになってしまったというお話である。

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アドレナリン・ダメ

アドレナリン・ダメ

浮き沈みはあったとはいえ、7年ほどハロプロ全体のうわべだけを舐めるようにして見てきた。気合を入れなければならない朝、疲れて元気がない帰り道に聴いたり見たり。そのインセンシティが高いパフォーマンスで、僕の腕を引っ張り起こしあげ背中をたたくドリンク剤のような立ち位置。好みのメンバーが卒業してしまう時はショックを受けるものの、ご飯が喉を通らないということはなく「そっかあ」と言う程度。ざっくり言ってしまえばそこまで深入りせずとも頼りにする。オタクと非オタクを使い分けるご都合主義的スタンスである。

八木栞さんについて、彼女についての情報はいくつか-去年につばきファクトリーに加入した新メンバーのうちのひとり。「八木メシ」というミッフィーちゃんのホーロー鍋を使った自炊の進捗をありのままブログにあげること。ミュージカル志望であったこと-知っていた。突然「なにこの子!かわいい!すごい!だれ!」という一目惚れステップを踏んだわけでもなく『アドレナリン・ダメ』のMVを見て「好きかも…」と思った次に『アイドル天職音頭』のMVを観て、その日の帰りの電車の中で『黄色い線の内側で並んでお待ちください』の動画を見たら、許容値を超えてしまったようである。

新曲発売にあやかり(?)アドレナリンに任せて彼女の魅力をあげるとすれば、大きな瞳に大きな口(このふたつは私が女性を見る上でとても大事な要素だ)。ステージに上がれば宝塚の娘役さんのよう立ち姿から繰り出される高音域で伸びる歌声(劇団四季が大好きだという)。ふわふわとつかみどころがないように見せかけて芯があって自信があるところ。先にも書いた通りブログにあげる試行錯誤が見え隠れする手料理「八木メシ」(愛知より上京したてなのである)。育ちの良さが伺える丁寧な所作。怨念渦巻くといっても過言でないアイドル界に純度100%の清純さで挑む姿は異世界転生モノの勇者のよう。

知れば知るほど深い八木栞の世界。「ああ、このお姿をもっと見たい!求めよさらば救わらん!」そう思ったとき、私はこれまでのご都合主義スタンスが崩れつつあることを自覚する必要に迫られた。同時に、アラサー手前の加齢の影響か、私の中で「推す」という概念が、「この人が毎日頑張っているのだから俺も頑張ろう」というものから「この人が毎日頑張れるよう、目の前にある草をかき分け、転がる石を避けてあげよう」というようなものへと変わっていることにも気づいた。端的に言うならば「支えたい」という感情だ。

しがないサラリーマンが推し事をする時、お金が「虚構」や「疑似恋愛」とたとえられる世界への手札となる。貧乏大学生の頃はオッサンがお金を湯水のようにつぎ込む姿を痛々しいとバカにしていたものだが、その世界への手札を貧乏大学生だったころより多く揃えた今、私自身がかつてバカにしていたオッサンの条件も揃えていることに気づいたときの衝撃は2022年ナンバーワン。それでもやっぱり近くで見てみたい。「頑張って」と言いたい。…いかんいかん。これこそ『アドレナリンでごまかす人生』だと首を振る私。そういえば、オタク用のTwitterアカウントを消したときにいまや二児の母になったオタ友達に「オタクは死ぬまでオタクだよ」と言われてたな。くそう…。

「いやお前この間は15期が見たいって言っていただろ」という野次は無視しながら真のハロオタの「扉」の前に立つ。「いつまでも いると思うな 親と推し」。調べて満足、買って満足、行って満足。有限不実行。三日坊主。サボりのプロフェッショナルと化した私が果たしてどうなるか。宝塚歌劇の『シルクロード』の真彩希帆さんを見に行けなかった後悔と反省を活かせるのか。私の人生、私が面倒見るんだ〜 Foo〜!

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