率直に言って、ほんとうに楽しいシーズンだった。
2025年のJリーグが終わり、柏レイソルを応援している人の多くは、このような充実感を抱いているのではないだろうか。
-2年連続で残留争いをしていた柏レイソル。捲土重来を期し招き入れたのは、スペイン人のリカルド・ロドリゲス。うどんを愛する熱き指揮官の下、昨年までとは打って変わった美しいパスサッカーは、一躍リーグの台風の目に。ピッチ外でも営業、広告に改革がなされ、まさに「生まれ変わった」レイソルは、シーズンを通して勝って強く、負けてもなお強くなる勢いをそのままに、リーグ優勝に向け突き進む-
漫画『ジャイアントキリング』のETUを彷彿とさせ、映画のテーマにすらなりそうだ。そんなおとぎ話との違いは、リーグ2位、ルヴァンカップ準優勝という結果に対する悔しさと、優勝記念グッズをぜんぶ買う覚悟でいて結局使わなかった財布の中身が教えてくれる。

すべてのパスや動きにメッセージがあるから、観ている僕らもサッカーに詳しくなったような気になれる。日立台のバックスタンドで耳を澄ませば、(自分も含め)そのメッセージの解釈を語りながら試合を観ていることに気づくだろう。スペースを見つけること、そこに入ること、そしてそこへパスを出すこと。そのためにどれだけ頭を使い、周囲を見て、走らなければならないのか。最高の教材だった。
そして自分が個サルでそれを実践してみて、まったくうまくいかずに落ち込む。それでも、もっと上手くなりたいとも思う。毎週強くなる「生まれ変わった」レイソルを観ていると、僕だってまだもう少し上手くなれると思えてくるのだから。
いやぁ〜、それにしても、ここ数年の苦しい戦いは何だったのか、という話をしたいわけではない(あまりの変わりぶりに、冗談で口にしたことはあるけれど)。かといって、アレにも意味があったのだ、という運命論を語りたいわけでもない。大量補強で生まれ変わったのではなく、昨年から在籍していた選手たちが躍動し、勝ちを重なるチームの姿で、昨年までの戦いに自ら意味を与えたところは、個人的にとても嬉しいサプライズであった。
「推し活」真っ盛りで、何でもかんでも消費されるこのご時世。Jリーグでさえ消費対象になりつつある中で、レイソルは過去の戦いを消費させなかった。30代を迎え、「どうせ」という言葉で斜に構え、固まりかけた自分の価値観すら揺さぶったのだ。-もっとも成長とかなんだを語るのは話が逸れるし、胡散臭くてむず痒くて偉そうでつまらないからやめておくが。
リーグもカップ戦も2位に終わった理由のひとつに、「ようし、ここまで来たし、獲れるなら獲っちゃおう」という空気があったと思っている。それは、レイソルが常勝チームでなく、柏という大都会でもど田舎でもない街に漂う雰囲気のせいなのかもしれない。
勝ち点差は1。アウェイ鹿島戦のあの場面だけでなく、決められたはずの1点、防げたはずの1失点、その積み重ねがこの「1」だった。ただその1の差に、優勝した鹿島に関する記事を読めば、勝つことが使命であるチームと、そうではなかったチームとの差を感じずにはいられない。今年は「強くなる途中」のチームだった。その悔しさを糧にしたチームが、来年どれほど強くなるのか、今シーズンのレイソルロスは、早くも来シーズンの期待へと変わりつつある。
……と言いたいところだが、正解を見つけたと思った瞬間に、その正解が変わるのがフットボールの世界だ。またうまくいかない時期が来るかもしれない。-ここからはいつも言っている通りだが- そんな時も、良いプレーに手を叩き、戦う選手を鼓舞し、そのうまくいかないときにすら意味を持たせる。それが応援というものなのだろう。
勝ち取る時まで 俺らの 声で 奮い立たせてやるぜ ベイベー