推しが二人もいなくなる春を過ごしている。春は別れの季節ともいうが、こういう形でこの言葉を実感するとは思わなかった。
筋金入りに見えて実はミーハーで飽きっぽいことの証左か、こうして推しが卒業するのは初めてだ。
ひとりはOCHA NORMAの石栗奏美さん。少し前から体調不良で休んでいたが、復帰かなわず卒業してしまった。2022年から2023年にかけては、強度が高くて妥協を知らないスーペルアイドルの彼女のことをAIに相談するほど夢中だった。痛いかどうかなりふり構わず、あなたのおかげで頑張れたとお礼をしたほど*1。
心身的な不調での卒業は色々勘繰ってしまうが、無意味なのでここで書くことはしない。戻ってくると信じていても、そこにいるアイドルが事実で、それがすべて。納得できなくても、どんなに残念でも、受け入れられなくてもだ。消えてしまえばそれまでのこと。そしてアイドルは続いていく。
もうひとりは八木栞さん。今日これから卒コンだ。昔書いたように、彼女がミュージカル女優という夢の途中、遠回りでハロプロに入ったことは知っていて、その奇跡的経緯と立ち振る舞いが推していて楽しかった。卒業は寄り道の終わりを示すもので、寂しさはあれど、本来の「卒業」という言葉の意味に近くてスッキリしている。見届け、送り出し、これからも応援するまでだ。
人に理解されるかはわからないが、ふたりの推しは、見るたび「さすがは俺の推し!」と満たされる時があって、その感覚がたまらなかった。その推しが辞めるとなると、終末感というか、この世の床が抜ける感覚になると思っていたら、案外そうでもなかったことに少しガッカリしている。何に?自分に対して、だ。
これは言い訳。距離はあれど推しのことはずっと見るものなので、何かあるとこれは最後かもと予防線を張ってしまうというか、なんとなくわかってしまう。それは社会人10年目の処世術か、それより長くアイドルを好きでいたがゆえに身についた嗅覚なのかはわからないが、こんな状況においても『推し、燃ゆ』のように刹那的に生きることができていない自分にがっかりしている。
「今そこにあるアイドルを愛せ」。なにかのパクリだということは承知の上だ。もうオタクやめるの?と聞かれたら、多分やめない。もう10年以上やってきたものに対し、やめるやめないの二元論で考えることに無理がある。垣間見た理想郷は伝説に、果たせなかった未練は夢に変えて、どこかで何かの拍子に「生まれ変わりだ!」なんて言ってまた誰かに夢中になるかもしれないし、妙ちきりんな経緯でまったく新しい傾向の推しができるかもしれない。もしかしたらアイドルだけじゃなく、近い星と遠い星を近くにあるからという理由で繋げて星座を作るように、晴一さんがいるミュージカルの世界と、八木栞さんが目指す世界が繋がるかもしれない(これは夢)。
これからもそんな運命的な刺激に感激し、刹那的な生き方に憧れながら、石橋を叩いて感じたことをここに垂れ流していければと思う。

*1:実際、妻は友人に愚痴っていたらしい