That Means A Lot

幻想とじゃれあって 時に傷つくのを あなたは無駄だと笑いますか?

今冬も春を待ちながら柏レイソルへの歪な愛を語る

天皇杯決勝の翌日の12月10日。僕は幼馴染の結婚式に出席するために名古屋にいた。学生時代はみんな近所だった幼馴染も、関西にいた3年間でみんな地元を出てしまい、関東に戻ってみれば柏に一番近くに住むのが僕になっていた。

幼馴染にもそのご両親と「おめでとうございます」「残念だったね」というヘンテコな会話を繰り広げる。国立の半分を黄色く染めたということは、少なくとも3万人のレイソル好きがあの場に集ったはずだったが、柏にゆかりがあろうと結果もそこまで気にしない人だっているし、無論その方が多いのだ。健闘どころか何故勝てなかったかわからない善戦からの敗戦とは無関係の華やかな祝いの場は、失望感を和らげる忘れるにはちょうど良い薬ではあった。それでもお互いに「おめでとう」と言いたかったというのは言うまでもない。

何を隠そう、昨シーズンの柏レイソルは弱かった。雨が降りそうな曇り空を滑空するツバメのような低空飛行。点は取られたら取れないのに、取ったら終盤に点を取られ、VARは敵認定した。とにかく勝ち切れず積み上がる引き分けの山。しょっぴかれる1つの椅子を睨む残留チキンレースに終始した結果、横浜FCと湘南以外の順位はろくに把握もしなかった。

いつも書いているように、応援するかしないかの選択肢がある境地はとうに超えているのだが、「情けなくて人前で応援してると言いづらい」というのは、小学生高学年のときに数々の惨状を ー新潟に終了間際に逆転される、真っ赤に染まった日立台でエメルソンにハットトリックを喰らう、名古屋に完敗した次の日の紙面でサポ同士が喧嘩したことを知る、バレーのダブルハットトリックで降格ー 目の当たりにして以来ひさびさだった。自分の好きなチームを紹介するのに「つまらないものですが…」という枕詞が謙遜にもならない状況を屈辱と呼ばずになんと呼ぶ。

ただ12月9日に国立競技場で見せた柏レイソルの戦いっぷりは、選手のみならず、スタジアムの半分を真っ黄色に染めたサポーターも含め、「気迫」や「魂のこもった」という類のクサイ言葉が相応しかった。俺たちが勝つんだ。そのために共に戦う。そんな気持ちになれれば、このチームは自分の誇りであることを思い出すには十分な機会だった。

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年が明けて2024年、相次ぐ主力の流出ばかり続くストーブリーグを体現したような凍てつく霙の日に行われた新体制発表会。少しでもサポーターのガスを抜いてみせようと気合十分に際どい質問を投げかける岡田亜希氏と林陵平氏と動き回るレイくんの頑張りに対し、「目指すサッカーは?」という質問に答えられず冷や汗を流すGMの姿は、外と中の寒暖差で曇る窓のようなクラブの方針を表していたのかもしれない。それでも昨シーズン中に就任した社長は自ら新たなキーワード「No REYSOL, No Life」を説明し、これからのクラブの方向性について道筋を示してくれた。曇った窓には光がさしていることがわかる程度の話だったかもしれないが、思えば少なくともここ数年間はそんな窓すらなかったのである。

正直、今シーズンもどんなにバイアスをかけても優勝だ!と開幕を待ち侘びるには厳しいだろう(毎年ソレをやっていた阪神ファンは本当にすごいと思う)。できる悲観的になろうと思えばいくらでもなれそうだ。しかしもう悪いコトをネチネチと指摘してても楽しくない。それは千葉県の道路事情のようなものあり、自分の字の汚さのようなものでもある。結果では何も得ることのなかった昨シーズンだったが、最後の最後に誇りを取り戻すことはできた。みんながんばってるし、やればできる。それはあの日の国立でわかったはず。「小さなことからコツコツと」。あの景色を思いつつ愛を持って接していこうではないか。

では、来シーズンに向けた補強選手について…そういう話はデータを日頃か用いて記事を書く人に任せといて、ここ数年はどんなサッカーをしてほしいというのもあまり無い。黄色いユニを着たのなら、チームのためによく走れ。そして勝て。いいときのレイソルは1人のブラジル人の王様に走り回る若手のバランスが取れているときだと思うが、少しでも多くの勝点を積むサッカーをしてくれれば、足元でチャカチャカしようとも、ロングスロー戦法であろうとも、僕は手放しで絶賛する。

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柏さあ行こうぜ 俺たちは止まらない 進めどこまでも 力の限り 俺たちは柏。