That Means A Lot

幻想とじゃれあって 時に傷つくのを あなたは無駄だと笑いますか?

NewJeansおじさんにはなりたくない 〜Summer Sonic 2023でNewJeansを見た話〜

自分は、自分が抱いた感情や感動を分析したがる傾向がある。そこまで変化に富んでいるわけでもない生活を送りながら、こうして何年もだらだらとブログという壁に文章をぶつけ続けるには、そうすることがいちばんのネタになるからである。

しかしBlurが大本命でなんとか前日にチケットを手に入れたサマソニで、対抗枠で見に行ったNewJeansを見たこの衝撃は、ふにゃふにゃと月曜日に仕事しながら余韻にひたるうち、他のサイトや記事を参照しないで書いてみることにしようと思い立つ。誇れる話じゃあないがまだ5人の名前と顔は一致していないほどに詳しくないけど、生で見たらすごく良かったから話したい。「ねぇねぇー聞いてー!」のノリ。

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暑かった。あれは人生でいちばん過酷な現場だった。一曲目の「ditto」で、冬からずっとヘビロテした五つ打ちのドラムを生演奏で聴けているのは、暑さで幻覚を見ているから?とも思うほど。それでも世界を席巻する5人が*1目の前にいる。

初めて目にしたK-popは、目にも止まらぬ速さで繰り広げられる「かわいい」「美しい」「かっこいい」の玉虫色の影分身であった。ハナからバキバキに踊るわけでもなく、声を張り上げて歌うわけでもなく、高校の仲良しの5人組が体育館の入り口でダンスの練習をしているように、軽やかに流すようわちゃわちゃ歌って踊る「かわいさ」。けれどもそのパフォーマンスには寸分の狂いはなく、凡人にできない速さの振りをこなす「美しさ」。その姿に一生懸命さはなく、暑そうにしていたが涼しげに流してしまう「カッコよさ」。そのどれも付け入る隙のないほどに圧倒的。

ビジョンに映し出される壮大なスケールと示唆に富んだMV、3分に満たない「Super Shy」一曲のために動員される十数人のバックダンサー、リソースの質も量も豪勢で最先端。なのにMCは全て日本語。少しカタコトでたどたどしている喋り方がかわいくて親近感が湧くということをきっと韓国のジムショの人は知っているのだろう。K-popは遠くて近く、近くて遠い。だからこそ尚更の衝撃だったのだろう。

しかしここで「歌って踊る女の子」だからと括って日本のアイドルと比較したり、これまでのK-popとの違いを付け焼き刃の知識で偉そうに話すと、「NewJeanおじさん」に認定され、町内ならぬネットの大海で引き回しにされた挙句、でっかいウサギのシルエットをしたライトスティックに磔にされてしまうという。

まだ自分は偉くも偉そうでもない(と信じている)。実際に生で見て、圧倒的なモノに出くわした時に「かわいいよね!」「新しいよね!」「ここが良いよね!」という純粋な感想を抱くことが…とここまで書いて、前から同じようなことを言っていることに気づく。酒を飲んだ時の説教おっさんが、鏡に映った自分の姿になるのも時間の問題。むしろ説教おじさんのほうがタチが悪い。そもそも自分の抱いた感情を分析したり、書いたブログを読み返すこと自体、自分がダイスキであることの証拠だということも気付いているのだけれども。

これからNewJeansおじさんの感想も、事務所の戦略のスゴさの秘訣みたいな記事も読もうと思うけれど、そこで同じようなことを書いてあったら、天然のNewJeansおじさんですと自首しようと思う。

Blurの話は書くかもしれないし、書かないかもしれない。なによりいちばん怖いのは、そもそも今の人は文章なんかネットに書かないから、ブログにNewJeansの話を書く時点でNewJeansおじさんだと言われること。

*1:たとえ米粒サイズでも、目の前にデカい人がいても