小さいころ電車の図鑑でそのマルーン色の車体を目にして以来、阪急電車に憧れていた話はかつて書いたが、この写真もその憧れを増幅させたで一因である。
阪急電車の前に立つ男はデヴィッド・ボウイ。言わずもがな世界一偉大なカルトスターである。ライブ衣装は歌舞伎からインスピレーションを得たこと、新婚旅行で祗園祭を訪れたこと、京都に家があったいうウワサが出るくらい*1、調べればさまざまなエピソードが出てくるほど、彼が日本文化に造詣が深く、京都を愛したことは有名なお話である。
幸運なことに、僕がデヴィッド・ボウイが「現在進行形でカッコ良い続けるスター」であることを理解できたのは、アルバム「The Next Day」をリリースした2013年のこと。当時大学生であった僕は、名盤「”Heroes”」を加工したジャケットを眺め、一曲目から「Here I am not quite dying」と叫ぶ声、流行りの音と知っていた往年の「ボウイの音」が融合した珠玉の楽曲たち、その驚きはアルバムが突然リリースされたことに対する驚きと、聴くたびににじみ出る良きへの驚きと融合し、増幅した。
その後、彼は星となり、僕は転勤で関西へ引っ越した。社会人生活が5年目をこえてもなお理想のオトナ象からはほど遠く歳だけを重ねる自分を感じるたび、どんな時もデヴィッド・ボウイたるカッコよさを示し続けた凄さをひしひしと感じている。僕の「なりたいオトナリスト」のいちばん上の人だ。*2
さて、この写真が撮られたのは1980年。撮ったのは長きに渡り彼の写真を撮ってきた鋤田正義氏。その際に撮られた写真とエピソードを振り返る「時間~TIME BOWIE×KYOTO×SUKITA 鋤田正義写真展」が開かれていた京都へ行ってきた。悲しきかな緊急事態宣言により終わってしまったので、まさに滑り込みであった。
京都を背にしたボウイの写真たち、写真は阪急のほかに古川町の商店街、三条通りから蹴上、旅館であったりと、いろんな場所で撮影されているのだが、いかんせん場所がニッチである。京都といえば金閣寺、伏見稲荷、清水寺など映える場所などいくらでもあるのに河原町駅の阪急である。でも奇妙なことにとってもカッコ良い。阪急電車は阪急電車で、デヴィッド・ボウイはデヴィッド・ボウイのままなのだが、映えることもなくわずかな違和感を残しながら互いを引き立てあっている。そのほかにも京都を背にしたイカしたボウイの写真をどでかいサイズで「"Heroes"」をBGMに鑑賞することができる。ステキな空間であった。
九条山には彼がよく訪れた桃源洞という「別の」デヴィッドさんの家があったという。骨董品や工芸品を蒐集し、様々なセレブがサロンのように集まり、催されるパーティに「ボウイの方の」デヴィッドが訪れた話…。調べれば調べるほど、森見登美彦氏の怪談小説に出てくるようなおはなしである。彼は狸たちと友達だったのだろうか…?
なんてノスタルジーに思いを馳せるだけでは終わらず、1980年に行くことはできないが、ボウイが歩いた街に行くことはできる。今は僕は京都にいるのだ!展示会を後にした僕はレンタサイクルに跨り京都の街へ駆け出した。しかし古川町の商店街は女子大生の通学路でその入口は三条通りから見ると目立たないし、三条通りの電話ボックスは誰も気に留めないようなただの道端だった。彼の映らない京都は、ここが京都なのかもわからなくなるほどであった。「ここをあの人が歩いたのか…。」有名な場所を訪れる際によく浸るノスタルジーは「本当に来たのか!?」という新種の疑念へ。彼の訪れた京都は、ある意味でそこになかった。
京都は平安京以来の日本の歴史を代弁するような古都であるが、今も人々が住み、生き続ける街である。何百年も前から変わらぬ姿で佇む寺院もあるが、2年前にオープンしたようなカルディもある*3。ボウイ自身がレンタカーを運転して古都を巡って探した生活感の溢れる京都と、世界的カルト・スターとの融合は1980年のあの時にしか存在しないナマモノだったのだ。現に彼がウナギを買ったお店も、三条通りの電話ボックスも今はそこにない。
ファッションも、おしゃれな場所も、誰かがすごい言ったたものを見てすごいと言うのは誰にでもできるが、ナマで流れるものに目をつけてすごいと言う人はすごくて、それを自分のものにできる人こそがもっとすごい。やっぱり敵わないなと思わせてくれるのがいにしへの都であり、デヴィッド・ボウイなのである。
そういえば、バルセロナ時代に来日したイニエスタが地下鉄に乗って馴染みきっている写真を思い出した、あれはあれですごかったなあ。*4